外国語文章添削
インターネットショッピングのメリット
2022/09/13
メッセージ
よろしければ、不自然な所を教えていただけませんか?ありがとうございます。
添削対象言語
日本語
添削内容
近年インターネットが世界中に普及するとともに、インターネットショッピングも徐々に流行ってきた。社会人の私にとって、二つのメリットがあると思う。一つ目はどこでも、いつでもスマホさえあれば、買い物ができるということです。社会人になって初めて、毎日自由に使える時間は本当に少ないことに気づいた。自由な時間に家で好きな映画やドラマを見たり、本を読んだりすることができるのは最も憧れのことだったから、外へ買い物することは私にとって、時間の無駄だと言っても過言ではない。
もう一つはネット上の商品のほうがより安いからだ。時間を無駄にすることもなく、安い値段で自分の好きな商品が買えるのは一石二鳥なのではないか。
しかしながら、本当の商品が見えないので、品質の悪いものを購入する恐れもあれば、気に入らない商品を買ってしまうリスクもあると思う。
そのため、買い物する時、商品についての紹介は詳しければ詳しいほど、自分に合うか合わないかを知ることができるので、ユーザーももっと安心して購入するかどうかをすぐ決められるでしょう。また、正規販売店でセレクトするのもインターネット上でいい商品を手に入れることの決め手なのだ。
#1
日本人のおばさん
[OBZheSc]
一つ目はどこでも、いつでもスマホさえあれば、買い物ができるということですだ。
自由な時間に家で好きな映画やドラマを見たり、本を読んだりすることができるのは最も憧れのていたことだったから、外へ買い物することは私にとって、時間の無駄だと言っても過言ではない。
そのため、買い物する時、商品についての紹介は詳しければ詳しいほど、自分に合うか合わないかを知ることができるので、ユーザーももっと安心して購入するかどうかをすぐ決められるでしょだろう。
また、正規販売店でセレクト買い物をするのもインターネット上でいい商品を手に入れることの決め手なのだ。
訂正済
訂正不要
ただし、〜だ、〜である、で書いた文章(である調と呼ぶ)は、
最後まで統一して〜だ、〜であるで書いたほうが、美しい文章とされている。
試しに↑この文章を〜です、〜ます(です・ます調と呼びます)に修正すると、このようになります。
とても読みやすい文章です。
ただし、〜だ、〜である、で書いた文章(である調と呼びます)は、
最後まで統一して〜だ、〜である、で書いたほうが、美しい文章とされています。
である調の文章は断定的で、論文やニュースなどで使われる傾向にあります。
です・ます調の文章はより丁寧で対話的、商品説明やエッセイなどで使われる傾向にあります。
2022/09/13
#2
麗麗
[GXhAVA]
本当にありがとうございます。助かります。ここ最近大学院生の試験のために、「だ」「である」で文章を書き始めましたから、全然慣れていません。つい書き間違えてしまいました。もっと頑張ります。勉強になりました。
2022/09/13
#3
麗麗
[GXhAVA]
ちなみに、「だ」と「である」の違いはなんでしょうか?一つの文章内で両方も使えますか?それとも「です、ます調」と「だ・である調」さえ統一しておけば、「〜だ」と「である」は混ぜてもあっているということですか
2022/09/13
#4
日本人のおばさん
[OBZheSc]
「〜だ」も「〜である」も、断定するときに使います。
したがって、あまり違いはありません。
私は中国人だ。
私は中国人である。
どちらの表現を使ってもOKです。
>「です・ます調」と「だ・である調」さえ統一しておけば、「〜だ」と「である」は混ぜてもあっているということですか
本来は、「だ・である調」は、「だ調」と「である調」と別々の表現方法だったそうです。
したがって、論文や公文書などの、厳密なチェックを受けるような文章の場合は混ぜないほうが良いと言われています。
しかし、日本語を母語としている者でも、上記の事実を知る者は少なく、混ぜて使うケースがほとんどです。
大衆小説やエッセイなどであれば、「〜だ」と「〜である」は混ぜても問題にはなりません。
「だ」ばかりが続く文章は、堅苦しく窮屈な印象を与えるので、作家たちは無意識に混ぜて使っているようです。
以下に2種類の例文を挙げます。
読み比べて、どちらが読みやすくリズム感が良いか考えてみてください。
① 私は日本人だ。東京に住んでいる独身の男だ。会社が終わるとまっすぐ家に帰り、テレビを観るのが趣味だ。特にアニメを観るのが好きだ。
② 私は日本人である。東京に住んでいる独身の男だ。会社が終わるとまっすぐ家に帰り、テレビを観るのが趣味である。特にアニメを観るのが好きなのだ。
①は、文末をすべて「〜だ」にしたので、退屈でつまらない印象を与えると思います。
②も、上等な文章とは言い難いですが、①と比べればリズム感や読みやすさが出たかと思います。
以上の理由から、本来であれば混ぜてはいけなかった「〜だ」「〜である」を、混ぜても良しとする風潮が生まれました。
もし、麗麗さんの書く文章を細かく厳しくチェックする老師がいるとしたら、
以下のように統一しておくのが無難でしょう。
断定=「〜だ」で文章を書いた場合
推測=「〜だろう」
過去=「〜だった」
断定=「〜である」で文章を書いた場合
推測=「〜であろう」
過去=「〜であった」
したがって、あまり違いはありません。
私は中国人だ。
私は中国人である。
どちらの表現を使ってもOKです。
>「です・ます調」と「だ・である調」さえ統一しておけば、「〜だ」と「である」は混ぜてもあっているということですか
本来は、「だ・である調」は、「だ調」と「である調」と別々の表現方法だったそうです。
したがって、論文や公文書などの、厳密なチェックを受けるような文章の場合は混ぜないほうが良いと言われています。
しかし、日本語を母語としている者でも、上記の事実を知る者は少なく、混ぜて使うケースがほとんどです。
大衆小説やエッセイなどであれば、「〜だ」と「〜である」は混ぜても問題にはなりません。
「だ」ばかりが続く文章は、堅苦しく窮屈な印象を与えるので、作家たちは無意識に混ぜて使っているようです。
以下に2種類の例文を挙げます。
読み比べて、どちらが読みやすくリズム感が良いか考えてみてください。
① 私は日本人だ。東京に住んでいる独身の男だ。会社が終わるとまっすぐ家に帰り、テレビを観るのが趣味だ。特にアニメを観るのが好きだ。
② 私は日本人である。東京に住んでいる独身の男だ。会社が終わるとまっすぐ家に帰り、テレビを観るのが趣味である。特にアニメを観るのが好きなのだ。
①は、文末をすべて「〜だ」にしたので、退屈でつまらない印象を与えると思います。
②も、上等な文章とは言い難いですが、①と比べればリズム感や読みやすさが出たかと思います。
以上の理由から、本来であれば混ぜてはいけなかった「〜だ」「〜である」を、混ぜても良しとする風潮が生まれました。
もし、麗麗さんの書く文章を細かく厳しくチェックする老師がいるとしたら、
以下のように統一しておくのが無難でしょう。
断定=「〜だ」で文章を書いた場合
推測=「〜だろう」
過去=「〜だった」
断定=「〜である」で文章を書いた場合
推測=「〜であろう」
過去=「〜であった」
2022/09/14