外国語文章添削

人工知能と今後の通訳について

2022/10/01
#0 CCMM [OTYgaCk]
Profile
性別 / 年齢
女性 / 20-24
出身
中国本土
居住地
湖北省[武漢](中国本土)
言語
中国語
日本語
2022/07/30 更新
メッセージ
1483225949@qq.com
添削対象言語
日本語
添削内容
日本語の勉強をし始またどころには、もし知らない単語や理解できない文ができたら、電子辞書やスマホで正しい「答案」を求める。それは初心者にとっての「定番」だと思う。従って、いつも「電子辞書は外国語を習うときの重要な道具だ」と思う私は、それがある日に人類を取って代わる可能性を全く考えなかった。しかしながら、近年さまざまな翻訳ロボットが次々と現れ、「将来、人類を代わりに働くだろう」と思うようにする人もますます多くなった。その考え方に認めることはできない。
たしかに今ときの人工知能は人類の学習行為を模倣できるが、到底自分のことを生み出すことはできない、感情的にならない。重要なビジネス会議であれ、日常出来な会話であれ、どんな場合であれ、言葉にはさまざまな感情が含まれており、それを通じて聞き手に気持ちを伝える。たとえ人間の感情を理解することはできないロボットにあらゆる知識を全部入れても、文字通りでの通訳を得るしかない。つまり悲しみや喜び、不満や皮肉などの感情やニューアンスを一斎抜けて、ただ文字通りで翻訳し、相手に伝えるのだ。そのゆえに、誤解を招く可能性も高くなる。
また、元々通訳ロボットは通訳者があってのものである。人工知能が自分が翻訳したもの正否がわからないので、通訳の人材がないと、通訳ロボットを開発しようにもできない。一つの実験をやってみよう。まず「月が綺麗ですね」という名言をコンピュータに入力する。そして翻訳された結果をコピーして、もう一度コンピュータで日本語に訳する。この作業を何回も繰り返して、どのような結果になるだろう。きっと原文の見る影もなくなるだろう。ましてやその名言に含んだ愛人への想いをきちんと伝えたのは、一度もないだろう。
従って、人工知能が人類に代わることは雲をつかむようなものであり、常識不足の人の勘違いである。そもそも人工知能は生活を便利にする一つの道具であるので、人類の地位を取って代わることは不可能だと思う。それがこの分野だけでなく、どの分野でもパソコンや人工知能が人類を完全に取って代わることはできないのだ。
#1 ひるひる [VJUxRzA]
日本語の勉強をし始またどころめた頃には、もし知らない単語や理解できない文ができたら、電子辞書やスマホで正しい「答」を求める。
それは初心者にとっての「定番」だと思う。
従って、いつも「電子辞書は外国語を習うときの重要な道具だ」と思う私は、私は思う。それがある日人類取って代わるようになる可能性を全く考えてもみなかった。
しかしながら、近年さまざまな翻訳ロボットが次々と現れ、「将来、人類代わりに働くだろう」と思うようにす考える人もますます多くなった。
その考え方認めることはできない。
たしかに今きの人工知能は人類の学習行為を模倣できるが、到底自分のことを生み出すことはできない、感情的になることができない。
重要なビジネス会議であれ、日常出来な会話であれ、どんな場合であれ、言葉にはさまざまな感情が含まれており、それを通じて聞き手に気持ちを伝える。
たとえ人間の感情を理解することはできないロボットにたとえあらゆる知識を全部入れても、文字通りの通訳を得るしかにすぎない。
つまり悲しみや喜び、不満や皮肉などの感情やニューアンス一斎抜けて、ただ文字通り翻訳し、相手に伝えるけとなる
そのゆえに、誤解を招く可能性も高くなる。
また、元々通訳ロボットは通訳者があってのものである。
人工知能が自分が翻訳したもの正否がわからないので、通訳の人材がないと、通訳ロボットを開発しようにもできない。
一つの実験をやってみよう。
まず「月が綺麗ですね」というをコンピュータに入力する。
そして翻訳された結果をコピーして、もう一度コンピュータで日本語に訳する。
この作業を何回も繰り返して、どのような結果になるだろう。
きっと原文の見る影もなくなるだろう。
ましてやその名言に含んだ愛言葉に含まれた恋人への想いをきちんと伝えたのられる訳文は、一もないだろう。
従って、人工知能が人類に代わることは雲をつかむようなものであり、常識不足の人の勘違いである。
そもそも人工知能は生活を便利にする一つの道具であるので、人類の地位を取って代わることは不可能だと思う。
それがこの分野だけでなく、どの分野でもパソコンや人工知能が人類完全に取って代わることはできないのだ。
訂正済 訂正不要
「月が綺麗ですね」は名言とは言わないですね。例えば、「月が〇〇みたいで綺麗ですね」と言って、その〇〇を聞いた人が、なるほど確かにそうだと感心できるぐらいの表現になっていれば名言と言っても良いのではないでしょうか。私の個人的な感覚です。少しでもご参考になれば幸いです。
2022/10/04
#2 CCMM [OTYgaCk]
ご添削ありがとうございます!
2022/10/04
#3 ひるひる [VJUxRzA]
読み返してみて、もっと原文に忠実な添削ができるかも知れません。もう一回やり直してみますね。
2022/10/08
#4 ひるひる [VJUxRzA]
こちらの添削でどうでしょうか。
原文の構造をそのまま活かしています。最初の添削では変えなくて良いところを触っしまっていたようです。読み直していて文意というかあなたの意図が分かってきました。
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日本語の勉強をし始めたころには、もし知らない単語や理解できない文ができたら、電子辞書やスマホで正しい「答」を求める。

それは初心者にとっての「定番」だと思う。

従って、いつも「電子辞書は外国語を習うときの重要な道具だ」と思う私は、それがある日に人類を取って代わる可能性を全く考えなかった。

しかしながら、近年さまざまな翻訳ロボットが次々と現れ、「将来、人類の代わりに働くだろう」と思うようになる人もますます多くなった。

その考え方を認めることはできない。

たしかに今どきの人工知能は人類の学習行為を模倣できるが、到底自分のことを生み出すことはできない。感情的になれない。

重要なビジネス会議であれ、日常的な会話であれ、どんな場合であれ、言葉にはさまざまな感情が含まれており、それを通じて聞き手に気持ちを伝える。

たとえ人間の感情を理解することができないロボットにあらゆる知識を全部入れても、文字通りの翻訳を得るしかない。

つまり悲しみや喜び、不満や皮肉などの感情やニューアンスを一斎抜けて、ただ文字通りに翻訳し、相手に伝えるだけなのだ。そのゆえに、誤解を招く可能性も高くなる。

また、元々通訳ロボットは通訳者があってのものである。人工知能が自分が翻訳したもの正否がわからないので、通訳の人材がないと、通訳ロボットを開発しようにもできない。

一つの実験をやってみよう。まず「月が綺麗ですね」という言葉をコンピュータに入力する。そして翻訳された結果をコピーして、もう一度コンピュータで日本語に訳する。この作業を何回も繰り返して、どのような結果になるだろうか。

きっと原文の見る影もなくなるだろう。ましてやその言葉に含まれた恋人への想いをきちんと伝えられるのは、一つもないだろう。

従って、人工知能が人類に代わることは雲をつかむようなものであり、常識不足の人の勘違いである。そもそも人工知能は生活を便利にする一つの道具であるので、人類の地位を取って代わることは不可能だと思う。

それがこの分野だけでなく、どの分野でもパソコンや人工知能が人類(の地位)を完全に取って代わることはできないのだ。
2022/10/08
#5 CCMM [OTYgaCk]
ご苦労様でした。私は日本語らしい作文を書いたいので、文法や日本語らしい言い方が一番重視しています。ですから最初の添削はもう読みやすくていいです。その二つの文を結合して直します。
2022/10/08
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