外国語文章添削
教育について
2023/09/19
添削対象言語
日本語
添削内容
中国の教育問題について、大学生の私にはただ今までの体験を言いたいことだけだ。私は大学受験を重視しすぎることと教科書にこだわることの二つ問題があると思う。小学校、中学校、高校まで学ぶことはすべてテキストの内容だ。別の方面の知識はあまり重視しない。時には、誰かに聞かれたら、もし、その問題は教科書に載っていない時、わからないから、言うにも言えない人がいるだろう。教科書にこだわらず、他の知識を学ぶことが大事だと思う。興味のないことを無理矢理に勉強して、ある程度の上で学生の学習意欲を抑えるかもしれない。中国では高校時代は最も重要な時期だと思われている。いわば、「高考」が人生を決めると言える。大げさな話だけど、事実だ。先日、あるニュースを聞いたら、驚いた。母は重病を患うのに、息子に言わない。原因は息子が安心して受験試験に参加してほしい。結局、息子は母の最後を見えなかった。自分の命より息子の前途の方が大事だと彼女にそうに思う。私は理解できない。いつの間にか、「高考」に対してこんなに重視しすぎるになったと思わなかった。この雰囲気の中で、教育の本質が変になると感じる。勉強は一生ものだ。高校階段を重視すぎず、各の階段も大切だと思う。教育ということは学習意欲を持たせていて、今まで学ぶことを生活に生かし、それこそ教育だと思う。
#1
saori
[ZVWQQg]
中国の教育問題について、大学生の私にはただは、今までの体験を言いたいことだけだから考えを述べたい。
私は大学受験を重視しすぎることと教科書にこだわることの二つの問題があると思う。
小学校、中学校、高校まで学ぶことはすべてテキストの内容だは、すべて教科書の内容のみを学ぶ。
時には、誰かに聞かれたら、もし、その問題は教科書に載っていない時、わからないから、言うにも言えない人がいだから、教科書に載っていないことを誰かに聞かれてしまうと、わからず何も答えられなくなることもあるだろう。
興味のないことを無理矢理に勉強して、ある程度の上でさせても、学生の学習意欲を抑える削いでしまうかもしれない。
中国では高校時代は最も重要な時期だと思わ考えられている。
いわば、「高考(=大学入試)」が人生を決めると言える。
大げさな話だけどが、事実だ。
先日、あるニュースを聞いたら、て驚いた。
母は重病を患うのに、息子に言わないっている母親が、その事を息子に隠していた。
原因は理由は、息子がに安心して受験試験に参加してほしいかったからだ。
結局、息子は母の最後を見期に立ち会えなかった。
自分の命より息子の前途将来の方が大事だと彼女にそうに思うは考えたのだ。
私には理解できないことだ。
いつの間にか、「高考」に対して「大学入試」をこんなに重視しすぎる様になったと思わていたとは知らなかった。
この雰囲気の中では、教育の本質が変になる可笑しくなってしまうと感じる。
高校階段を重視しすぎず、各そのほかの階段も大切だと思う。
教育ということは学習意欲を持たせていて、今まで学ぶ学習意欲を引き出し、学んだことを生活に生かし、す。それこそ教育だと思う。
訂正済
訂正不要
2023/09/20
#3
ひるひる
[IGdmOFA]
私はこう考えています。
「させる」は、必ずしも本人の意思に反することを意味しない。意味の重複にはならない。
次の二つの文を比べてみて下さい。
1.嫌がる子供にピーマンを無理矢理食べさせる。
2.嫌がる子供に、ピーマンが健康に良いことを説明して、子供が納得してから食べさせる。
「無理矢理」によって本人の意思でない事を示します。しかし、前後の文脈によって「無理矢理」が省略されていても、強制のニュアンスが入ることもあります。「させる=让」で良いと思います。私の理解では、让に「強制」の意味は入っていないかと。
「させる」は、必ずしも本人の意思に反することを意味しない。意味の重複にはならない。
次の二つの文を比べてみて下さい。
1.嫌がる子供にピーマンを無理矢理食べさせる。
2.嫌がる子供に、ピーマンが健康に良いことを説明して、子供が納得してから食べさせる。
「無理矢理」によって本人の意思でない事を示します。しかし、前後の文脈によって「無理矢理」が省略されていても、強制のニュアンスが入ることもあります。「させる=让」で良いと思います。私の理解では、让に「強制」の意味は入っていないかと。
2023/09/24