外国語文章添削
日記の添削をお願いします。
2024/04/28
メッセージ
よろしくお願いします。
添削対象言語
日本語
添削内容
日々ふと何か考えてしまう瞬間が多くあるが、何ごともいちいち深堀する余裕がなくほとんどは淡々と受け流したりしている。最近は、既に何度も見たことのあるはずの風景がなぜだか懐かしく思うことがある。昨年見ていた新緑の景色もこんな感じだったっけ。葉っぱの色味、枝の捩れ具合。時の流れが早く、新緑の眩しい時期がまたやってきた。もうちょっと先の真夏の青々しい風景とはどこか違い、淡くてみずみずしくて常に靄がかかったかのようで、初々しい気がしつつも、脆い気もする。GW初日の昨日から最近台湾で人気のあるドラマを一気見した。悲しい結末のせいか、ドラマに対しての評価がまちまちのようだ。非現実だの、あまりに残酷だのといったコメントがちらほら散見された。ただ、生まれつき物事を悲観的に捉えてしまう傾向であるぼくには、悲劇こそ現実だということもあるのではないかと。むしろ、非現実だと言った人たちが単に日頃には残酷な現実から目を逸らしてばかりいるだけなのではないかと。病気やら戦争やら貧困の報道を目にした際に、神様はやはり残酷な時もあるんだなと思った。でも、人生における虚しさや儚さを誰しも常に噛み締めていられるものではないとも思う。誰しもそこにまっすぐに見つめる余裕や勇気が時や場合によって必ずしもあるわけでないとも理解はしている。
#1
MY
[MkNHMJk]
日々ふと何か考えてしまう瞬間が多くあるが、何ごともいちいちはあるものの、あまり深堀りする余裕がなくは無く、ほとんどは淡々と受け流したりしている。
最近は、既に何度も見たことのあるはずの風景がなぜ何故だか懐かしく思うえることがある。
時の流れが早く、新緑の眩しい時期がまたやってきた。
もうちょっと先の真夏の青々しい風景とはどこか違い、淡くてみずみずしくて常に靄がかかったているかのようで、初々しい気がしつつも、脆い気もすくもあり、脆いようにも見える。
GW初日の昨日から、最近台湾で人気のあるドラマを一気見した。
悲しい結末のせいか、ドラマに対しての評価がは、まちまちのようだ。
非現実的だの、あまりに残酷だのといったコメントがちらほら散見され目に付いた。
ただ、生まれつき幼い頃から物事を悲観的に捉えてしまう傾向でがあるぼく僕には、悲劇こそ現実だということ見方もあるのではないかと。
むしろ、非現実的だと言った人たちが単に日頃にはこそが、残酷な現実から目を逸らしてばかりいるだけなのではないかと。
病気やら戦争やら貧困などの報道を目にした際に、神様はやはり残酷な時もあるんだなと思った。すると、神様は全知全能ではないし、
でも、誰しも人生における虚しさや儚さを誰しも常に噛み締めていられるものではないとも思う。
誰しもそこに時と場合によっては、まっすぐに見つめる余裕や勇気が時や場合によって必ずしもあるわけでないと失われてしまうことだってあるだろう。それは僕も理解はしているつもりだ。
訂正済
訂正不要
・「日々ふと何か考えてしまう瞬間が多くあるが、」とありますが、本当に多いのでしょうか。もちろん「多い」は相対的な指標であり、何かに比べて多い少ないと表現するわけですが、例えば2時間に1回だと計12回/日です。これは多いでしょうか。『毎日のように、ふと考えてしまう瞬間はあるよね』ぐらいの表現が丁度良いのかなと思って修正してみました。
・また、これは私が勝手に思っているだけかもしれませんが、「日々ふと何か考えてしまう瞬間『が』多くある『が』、」のように同じ助詞が短い区間に複数回登場すると、音が美しくないと言いますか、文章の軽快さが失われて、突っかかるような印象を受けます。ですので、例えば「瞬間が多くある『ものの』」のようにすると、文節の区切りとして、特にoyoyさんの日記のような文体にはハマると思います。
・「何ごともいちいち深堀りする余裕は無く、」とあります。おそらくですが『何ごとも深堀りしない』は言い過ぎではないのかなと思いました。その後に「ほとんどは」と続いていますので、何ごともではなく、ある程度は受け流していないことになり、矛盾を感じます。
・「最近は、既に何度も見たことのあるはずの風景がなぜだか懐かしく思うことがある。」とありますが、風景が主語の場合は『風景が懐かしく思える』のような受け身の形になり、風景が目的語の場合は『風景を懐かしく思う(主語は省略)』のようになります。
(続きます)
2024/04/29
#2
MY
[MkNHMJk]
・「時の流れが早く、新緑の眩しい時期がまたやってきた。」とあります。『時』『時期』が似ている語句なので、別の語に置き換えるなど工夫しても良いかもしれません。あるいは、2つ上の文で新緑の到来を既に述べていますので、もしかしたらこの文は無くても良いかもしれません。
・「初々しい気がしつつも、」とありますが、「初々しい」は第三者目線の表現なので、「気がする」は無くてもOKです。(「初々しく感じる」ならOKです。)
・「ちらほら散見された。」とありますが、『ちらほら』=『散』なので二重に修飾しています。
・「生まれつき物事を悲観的に捉えてしまう傾向がある僕には、」とありますが、本当に生まれつきなのか医学的に証明されていないのであれば、例えば『幼い頃から』のようにすると良いのではないでしょうか。
・最後の3文は、論理がうまくつながっていないように思いました(特に「でも、」のところがちょっと分かりづらかったです)。母国語で表現した場合には、論理はきちんとつながっているでしょうか。こういうことなのかなーと意味を汲んでみましたが、修正しすぎているようでしたら再度添削しますので教えてください。
・「初々しい気がしつつも、」とありますが、「初々しい」は第三者目線の表現なので、「気がする」は無くてもOKです。(「初々しく感じる」ならOKです。)
・「ちらほら散見された。」とありますが、『ちらほら』=『散』なので二重に修飾しています。
・「生まれつき物事を悲観的に捉えてしまう傾向がある僕には、」とありますが、本当に生まれつきなのか医学的に証明されていないのであれば、例えば『幼い頃から』のようにすると良いのではないでしょうか。
・最後の3文は、論理がうまくつながっていないように思いました(特に「でも、」のところがちょっと分かりづらかったです)。母国語で表現した場合には、論理はきちんとつながっているでしょうか。こういうことなのかなーと意味を汲んでみましたが、修正しすぎているようでしたら再度添削しますので教えてください。
2024/04/29