外语文章校正

《女优》读后感②

2018/01/17
#0 イエライ [IAMyhZA]
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国(地区)籍
日本
语言
消息
添削お願いします。
と言っても、①の添削もないので、このコーナーも所詮こんなこのかな?
校正语言
中文(普通话)
校正内容
  渡边淳一更深地分析两个人的关系。
“也可以说,“抱月”成了一只大狮子,就能发挥自己的才能。这就是由于“须磨子”的存在。”
 说实话,“须磨子”的脾气是直坦型,很厉害。虽然大家简直都受不了她的脾气,但是“抱月”一直忍耐她的任性。其实他巧巧地操作了她的情感。
  我感到这一点,就觉得“岛村抱月”这个人既帅,又勇敢。
 看完这本小说以前,我以为男汉字应该勉强地服从女人。但是“抱月”不是这样的。我跟他完全不一样,绝不能向他学习模仿。所以我深深地尊敬他。
另一方面,“须磨子”作为利用的男人接触了“抱月”,果然由于他的才能,当她在托尔斯泰的《复活》演剧中唱了《喀秋莎》的歌儿的时候,这只歌很受大家的欢迎,非常红火了。
“须磨子”终于登上正宗的大女优了。也可以真的说,这就是“须磨子”被“抱月”养育的。
“抱月”也一边作为自己人生的意义一直爱上“须磨子”,一边做了许多演剧盛荣剧团。
“抱月”和“须磨子”两个人在一起互相影响共同进步。这样情侣我太羡慕了。
没想到“抱月”得了当时的西班牙流感后,没多久死去了。只有“须磨子”没有“抱月”了,才知道他的存在意义。小说里说道:
“‘那个人还是真了不起!’
须磨子想起抱月时,以为抱月只是个知识分子,也是个优柔寡断的懒汉子。但是没有了抱月的现在她才知道他的有很牢固的信念。”这句话一针见血地表现“岛村抱月”是什么样的人,让我非常感动了。
最后,“须磨子”像追赶“抱月”一样自杀了。我觉得因为“须磨子”自杀了,所以两个人的爱情更美化了。虽然两个人有外遇的关系,但是“须磨子”的自杀在世上主张了两个人的爱情是真实的。
如果“须磨子”没死去的话,这样的小说也可能会没有。
我读完这本小说后,我想起“岛村抱月”时,虽然他也是个跟《葬花》的主色“荻野吟子”一样的知识分子,但是我感觉到“岛村抱月”的人生很痛快。




 渡辺淳一は更に分析している
「抱月という獅子を起こさせたのは『須磨子』であったと言える。」
 実は、その『須磨子』は直情径行型(ちょくじょうけいこうがた)の
気性の激しい、鼻持ちならぬ女であったが『抱月』は、彼女の我儘(わがまま)をじっと堪えて辛抱している。その実『須磨子』を巧みに操縦している。
 私が、彼を「男らしい」と感じたのは実はこの点である。この本を読むまでは、「男らしさとは強引に女を押さえつけて従わせるものだ!」とばかり思いこんでいた。しかし、『抱月』は、私と全然違うタイプだ。私は彼の真似が出来ないだけよけいに尊敬する。』 『須磨子』にしてみれば、最初は自分の利用できる男として『抱月』に近づいたか知れないが、彼の才覚で須磨子はトルストイの『復活』の中で歌う『カチューシャの歌』が、空前の大爆発をして文字通り押しも押されぬ「大女優」になった。正に抱月に育てられた『須磨子』であった。
 抱月も須磨子の愛を生きがいにして、作品を造り劇団を盛り上げていっている。
 二人が一緒に居ることで、お互いの才能を引き出し遭っている。こんなカップルって私は無茶苦茶羨ましい。 』
 抱月は、当時のスペイン風邪に罹(かか)ってあっけなく死ぬ。抱月が亡くなって初めて須磨子は彼の偉大さを知る。小説に書いている、
「『あの人はやはり強かった。』
 須磨子は改めて抱月を思い出す。生前(せいぜん)はインテリの、ぐうたらで、ハッキリしない人だと思っていたが、その底にテコでも動かぬ頑固さがあった。」
 この一言が、『抱月』を全て言い表している。
 最後、須磨子は抱月の後を追うようにして自殺する。私は、この自殺で二人の仲は更に美化されていると思う。
 二人は確かに不倫の中だったが、須磨子の死で二人の愛は真実だと世間に知らしめている。彼女の死がなければ、恐らく小説にはならなかっただろう。
 私は、この小説を読み終えた後、『花埋み』の荻野吟子と違って、同じインテリでも島村抱月の生きざまに心地よさを感じた。
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